大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所 昭和30年(レ)25号 判決

控訴人 一木馨 外一名

被控訴人 塚本正二

主文

原判決を取消す。

控訴人一木馨同河本積と被控訴人塚本正二間の灘簡易裁判所昭和二十七年(ユ)第五七号家屋調停事件の調停調書正本に基き同裁判所書記官補藤原幸男が被控訴人に対し昭和二十九年六月二十一日附与した執行文に基く家屋明渡の強制執行はこれを許さぬ。

訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。

事実

控訴人等代理人は、主文同旨の判決を求め、被控訴人代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人等の負担とする。」との判決を求めた。

控訴人等代理人は、請求の原因として、

「被控訴人が控訴人等を相手方として申立てた灘簡易裁判所昭和二七年(ユ)第五七号家屋明渡調停事件において昭和二七年九月二四日当事者間に左記の条項による調停が成立した。

(一)  被控訴人は、控訴人一木に対しては神戸市灘区烏帽子町二丁目一七番地上家屋番号一六番木造瓦葺二階建店舗兼住宅一棟二戸の内南側一戸を、控訴人河本に対しては右家屋の内北側一戸を各々昭和二七年九月一日より賃料一ケ月に行付八〇〇円とし毎月末日限りその月分を持参支払を受くる約定で期限を定めず引続き賃貸すること。

(二)  控訴人一木は、被控訴人に対し昭和二四年六月一日から昭和二七年七月末日に至る間の未払賃料合計金一万円を昭和二七年一〇月末日限り、又控訴人河本は、同控訴人居住前に右家屋に居住していた訴外丸尾秀一の昭和二四年六月一日から昭和二六年七月末日に至る間の未払賃料合計金一万円の債務を引受けこれを昭和二七年一〇月末日限り各被控訴人に支払うこと。

(三)  控訴人等が(一)の家賃の支払を引続き三ケ月分以上遅滞し、又控訴人一木が(二)の遅滞賃料の支払を控訴人河本が(二)の引受遅滞賃料の支払を各支払期日に遅滞したときは各その時を以て控訴人等と被控訴人間の右家屋の賃貸借契約は解消し、被控訴人に対し控訴人等は夫々右家屋を明渡すこと。

調停条項による約定は上記のとおりであつたがその後当事者間の調停外の合意により右(一)記載の賃料について、昭和二七年一一月分以降控訴人一木の分は一ケ月金千五百円に、控訴人河本の分は一ケ月金千四百円にそれぞれ増額すると共にその支払方法についても前記調停条項を改め毎月末日に被控訴人の取立によりこれを支払うこととする約定が成立した。ところが、被控訴人は、控訴人等が昭和二九年三月ないし五月分の賃料の支払を引続き遅滞したとして訴外河井うたの遅滞証明書により、同年六月二一日右調停調書正本に執行文の付与を受けた。

然しながら、控訴人等は、前記改定の約定に従い、被控訴人の取立により毎月末日賃料を支払つて来たが、被控訴人が昭和二九年三月分の取立に来ないので、控訴人一木は、同年三月三一日控訴人両名の同月分の賃料を併せて被控訴人方に持参したところ被控訴人不在のためその妻及び息子に、右賃料を提示して受領を求めたが、被控訴人本人が後刻受領に赴く旨を以て拒まれた。然るにその後被控訴人は控訴人両名方を来訪して各賃借家屋の買取方を要請するところがあつたが、控訴人等は、いずれもこれに応じかねる旨を返答した上、それぞれ更に賃料を提示しその受領を求めたところ、被控訴人は、本件家屋の税金で差押を受け、家賃の取立をすることができないので、控訴人等において保管しておかれたい旨を以て、再びその受領を拒絶したので控訴人等は昭和二九年三月分以降の賃料を供託しておる次第であつて、従つて控訴人等は昭和二九年三月ないし五月分の賃料の支払を遅滞したことはない。

かりに右の主張が認容されぬとしても、本件家屋の賃料は、前記調停によつて各一戸につき八百円と定められたところ、昭和二七年ないし二九年度の右家屋に対する固定資産評価価格はいずれも二十二万八千四百八十円で三ケ年間変動なく、その固定資産税額は、昭和二七及び二八年度は同額、昭和二九年度分は却つて前二年度分に比して減少しており、右調停によつて定められた賃料を変更する何等の原因もないのであるから前記賃料の増額は地代家賃統制令に違反し、控訴人一木について一ケ月金七百円控訴人河本について一ケ月金六百円の各増額部分はいずれも無効であつて、被控訴人は右各増額部分を受領する権利を有しない。従つて、控訴人等が支払つた昭和二七年一一月以降昭和二九年二月迄一六ケ月分の賃料のうち、控訴人一木について金一万一千二百円、同河本について金九千六百円の過払となるから控訴人等は同年三月分以降各一ケ月金八百円の割合による賃料については前記過払金に充つる迄は当然にその支払義務なきものであつて被控訴人はその支払を請求する権利を有しないから控訴人等において昭和二十九年三月分ないし五月分の賃料について遅滞の責を負うべきいわれはない。

かりに控訴人等が当然に賃料支払義務を免れるという右の主張が失当であるとしても、地代家賃統制令は、貸主に対し統制額を超えて家賃を受領することを禁じ、右規定に違反した貸主を処罰するに反して借主を処罰することなく又同令には利息制限法におけるが如く任意に支払つた制限超過部分の返還を請求することができない旨の規定がないことから見て民法第七〇八条にいう不法の原因は受益者たる貸主にのみ存在することが明かであるから、控訴人等は被控訴人に対し前記各過払金の返還請求権を有するのでこれを以て本訴において控訴人等の延滞賃料債務と対当額について相殺の意思表示をする。して見ると、控訴人等は右相殺適状の始に遡つて前記三ケ月分の賃料支払義務を免れる筋合であるから右三ケ月分の賃料の支払を延滞したとの事実に基いてなされた前記執行文の付与は失当に帰する。

と述べ、

被控訴人代理人は、答弁として、

「控訴人等主張事実中、控訴人等と被控訴人の間に控訴人等主張の如き調停条項による調停が成立したこと、その後控訴人等主張の如き賃料増額の約定が成立したこと(但し、増額の時期は昭和二七年一二月分からである。)、被控訴人において、控訴人等が昭和二九年三月ないし五月分の賃料の支払を引続き遅滞したとして訴外河井うたの遅滞証明書により、控訴人等主張の日に右調停調書正本に執行文の付与を受けたこと、控訴人等が昭和二九年二月分迄の賃料を支払つたこと、控訴人等が昭和二九年三月ないし五月分の賃料を供託していること、及び右増額後の各賃料が後述する範囲において統制額を超過していることは認めるが、その余の事実はすべて否認する。

控訴人等は昭和二九年三月ないし五月分の各賃料を供託しているが右供託は、控訴人等において右各賃料を被控訴人方に持参提供することなく、又被控訴人においてその受領を拒絶したこともないのに本件執行文付与の後である昭和二九年六月二九日になしたものであるから、弁済供託としての法律効果を生ぜず、控訴人等はそれぞれ右三ケ月分の家賃を延滞していることは明白である。

本件家屋二戸の家賃停止統制額は、昭和二七年一二月一日より昭和二八年三月三一日迄は月額金二千百五十二円(一戸当り千七十六円)、同年四月一日より昭和二九年三月三一日迄は月額金二千百六十五円(一戸当り千八十二円)、同年四月一日より昭和三〇年三月三一日迄は月額金二千二百四十二円(一戸当り千百二十一円)であり(右統制額算定の基本である右家屋二戸一棟の敷地の地代相当額は昭和二七年一二月一日より昭和二八年三月三一日迄は四百五十円、同年四月一日より昭和二九年三月三一日迄は四百六十五円、同年四月一日より昭和三〇年三月三一日迄は五百四十円である。)、従つて昭和二七年一二月分以降の賃料増額は右統制額の範囲内において有効なことは当然である。そして右各統制額を超過する部分といえども一旦支払われた場合には不法原因給付となり、且本件においては控訴人等及び被控訴人にいずれも右統制令違反についての違法の認識なく、違法の認識を欠くことについての過失の程度も双方同等であつて、受益者である被控訴人において特に相手方の窮迫に乗じ著しく不当な暴利をむさぼるような特別の事情もないから、利息制限法の制限超過利息が支払われた場合と同様、控訴人等はすでに支払つた昭和二七年一二月分以降昭和二九年二月分迄の賃料中の統制超過部分の返還を請求することもできないというべきである。かりに控訴人等に統制超過部分の返還請求権があるとしてもこれにより昭和二九年三月以降の賃料支払義務を免れ得るものでなく、又控訴人等の右返還請求権をもつてする相殺の意思表示は本訴において始めてなされたものであるから、本件執行文付与の際における控訴人等の賃料の延滞に対して何等消長を及ぼすものでない。」

と述べた。

証拠〈省略〉

理由

被控訴人と控訴人等との間の灘簡易裁判所昭和二七年(ユ)第五七号家屋明渡調停事件につき、昭和二七年九月二四日控訴人等の主張するとおりの調停が成立したこと、その後右調停で定められた一ケ月各八百円の賃料を控訴人一木について一ケ月千五百円に、控訴人河本について一ケ月金千四百円にそれぞれ増額する旨の約定が当事者間に成立したこと、控訴人等が昭和二九年二月分迄の賃料を全部文払つたこと、及び被控訴人において、控訴人が同年三月以降三ケ月分の賃料の支払を引続き遅滞したとして同年六月二一日右調停調書の正本に執行文の付与を受けたことは、いずれも当事者間に争がなく成立に争のない甲第六号証の一、二によれば、右各賃料の増額は昭和二七年一二月分以降についてなされたことを認めることができ、これに反する控訴人両名の各本人訊問における供述はこれを信用することができない。

ところで当審証人塚本すゑ塚本正光の各証言、当審における被控訴人本人訊問の結果、当審における控訴人両名各本人訊問の結果(後記措信しない部分を除く。)及び成立に争のない乙第六、七号証の各一、二を綜合すれば、本件各家屋に関する賃料債務については、被控訴人がこれを控訴人等方へ取立に行くのを例としていたが、これは便宜上そうしていただけであつて、双方の合意によつて取立債務に改めたのではないこと、被控訴人が、昭和二九年三月ないし五月の各月末に控訴人両名方に赴いて家賃の支払を請求したが、控訴人一木はその都度金の都合が悪いと言つて支払わず、控訴人河本はその都度不在であつたため、いずれもその支払を受けることができなかつた経過であつて控訴人等が同年三、四月頃被控訴人方に賃料を持参したのに対して、被控訴人がその受領を拒んだことはないこと、然るに控訴人等はその後右三ケ月分の各家賃を供託しているけれども(控訴人等が右各家賃を供託したことは当事者間に争がない。)これは弁済の提供をなしその受領を拒まれた上でなされたものでなく、且その供託の時期も本件執行文付与の後である同年六月二九日であること、従つて控訴人等は右執行文付与当時いずれも右三ケ月分の各家賃金債務を履行していなかつたことを認めることができ、控訴人等各本人の供述中右認定に反する部分はこれを信用することができない。

ところで控訴人等は前記増額後の各賃料は地代家賃統制令に違反するからその超過支払額を繰入れ計算すれば控訴人等は未だ昭和二九年三月乃至五月分の賃料支払義務なく従つてその延滞もない旨主張するからこの点について判断するに、被控訴人も、本件家屋二戸一棟の家賃停止統制額は昭和二七年一二月一日より昭和二八年三月三一日迄は月額金二千五十二円(一戸当り千七十六円)、同年四月一日より昭和二九年三月三一日迄は月額金二千百六十五円(一戸当り千八十二円)、同年四月一日より昭和三〇年三月三一日迄は月額金二千二百四十二円(一戸当り千百二十一円)であつて右範囲を超える増額部分は地代家賃統制令に違反することはこれを自認しているところである。

ところで不法な条件を附した法律行為は無効であり又不能な停止条件を附した法律行為は無条件とされることは民法第一三二条第一三三条の明定するところであつて、右の法意を推究すると一旦適法に成立した賃貸借のような継続的法律関係に附された解除条件の内容を後日不法なものに変改することは法の許さぬところであつて、もしかゝる変改がなされた場合には右の解除条件は当然にその効力を失うものと解すべく、殊に執行力ある債務名義としての効力を有する調停調書によつて右の賃貸借が成立している本件の如き場合において右の事理は益々明白であるとせねばならぬから、もし控訴人等が引続き三月分以上賃料支払を遅滞したときは賃貸借は当然に解除となることを定めた前記解除条件の趣旨が統制違反賃料の支払を確保することに変改されたものと解するならば右解除条件はその時から以後は効力を失つたものとする外はないけれども、もし右解除条件の趣旨は引続き適正賃料の支払を確保するに止まり従つて当事者間に現実に支払われた統制違反賃料は凡て統制額によつて当然に改算されることを前提とし右改算の結果によるもなお三月分以上の延滞ある場合に始めて解除の効果を認める趣旨であると解するならばその限度においては右解除条件の効力がなお存続することを是認する余地があり、従つてかゝる意味において解除条件の成就を原因とする執行文附与の問題を生じるものと解される。して見るとこの場合既に支払われた統制超過賃料は不当利得返還の法理をまつまでもなく当然に将来の賃料の前払がなされたものとして計算することが公平に適するのであつて、これを換言すれば賃貸借の解除が賃料支払の催告並に解除の意思表示を要せぬ自動的な法律効果として予定されている以上は債務不履行の有無も専ら統制法の定めるところを基準として自動的に決定さるべきであつて敢て不当利得返還請求権を以てする相殺の意思表示をまつまでもないとせねばならぬ。

以上の結論に対しては、もし借家人たる控訴人等が家賃金を三ケ月にわたつて完全に不払の事実が認定される場合には、少くとも当該三ケ月については統制額による債務の履行もなかつたことに帰するから、この場合既往において統制超過賃料が授受されていると否とにかゝわらず賃貸借解除の効果を認むべきであつて、事前における相殺の意思表示をまたずしてこれを斟酌すべきではないとする反論が予想されるが、この見解は違法賃料の約定と同時に本来は効力を失つたものと解される解除条件を当該三ケ月の関係においてのみ有効に解しようとする矛盾を内包するものであるから当裁判所はこれに賛成することができぬ。なお附説するに、地代家賃統制令に違反する超過賃料の支払を以て利息制限法に違反する超過利息の支払に類比してこれに関する不当利得返還請求権を否定する見解もなくはないのであつて、被控訴人もまたこれを援用しているけれども、利息制限法に違反する利息の約定は自然債務として存在し得るに反し、統制違反賃料の約定はそれ自体強行法規に反し刑罰を以て禁止されているのであつて、到底右の両者を類比し得べきものでないことは明であつて、且この場合における不法原因が専ら貸主の側にのみあることは住宅不足に伴う家賃の暴騰を抑制し以て社会生活の安定を図ることを本旨とする地代家賃統制令の立法趣旨に照らして明であるから、かゝる見解は当裁判所の採用せぬところであつて、却つて当裁判所は統制超過賃料については一般的に不当利得返還請求権の成立することを前提としつつ更に賃料不払を解除条件とする賃貸借についてその解除条件の成就の有無を決するについては右不当利得返還請求権を以てする相殺の意思表示をまつことなく当然に将来の賃料の前払として計算さるべきことが正義公平に適するものであると解することは上述したとおりである。

然るに被控訴人は前記調停調書所定の賃料額が控訴人一木については一ケ月金千五百円に控訴人河本については一ケ月金千四百円にそれぞれ増額された昭和二十七年十二月分以降昭和二十九年二月分迄の間に控訴人一本については少くとも合計金六千二百九十四円、控訴人河本については少くとも合計金四千七百九十四円の統制超過賃料を徴收しており従つてこれを控訴人等の昭和二十九年三月分乃至五月分の統制賃料の支払にそれぞれ充当計算すれば、控訴人等において未だ賃料債務不履行の責を問はるべき状態に至つておらぬことは被控訴人の自認する事実だけによつても計数上明であるから控訴人等において昭和二十九年三月分乃至五月分の賃料を遅滞したことにより各家屋賃貸借契約が当然に解除となつたものとしてなされた本件執行文の附与はその他の事点について判断する迄もなく右被控訴人の主張自体により失当であるとせねばならぬからこれに基く家屋明渡の強制執行はこれを許すことができぬ。然るに右執行文の附与に対して異議を主張する控訴人等の請求を棄却した原判決は失当であるからこれを取消し、訴訟費用の負担につき同法第九六条第八九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 河野春吉 後岡弘 石松竹雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例